最近、わが家でちょっとした事件がありました。 きっかけは、思春期に入り、自分の見た目、とくにクセ毛を気にするようになった息子です。
そんな弟を見て、年上の姉がこう言いました。 「あんた、縮毛矯正したら絶対いい感じになるよ。私が行ってる美容院、行ってみたら?」
親が同じことを言っても、たぶん聞かなかったと思います。 でも、年齢の近い姉の言葉は違ったようです。 何度か話しているうちに、息子もその気になり、 「じゃあ、やってみようかな」 となりました。
姉の営業力、恐るべしです。 息子の頭の中にはすでに、「縮毛矯正をかけて、今とはちょっと違う自分になる」という完成イメージまでできていたのだと思います。
▼ 親からの正論(タテの関係)には猛反発するのに、年齢の近い姉(ナナメの関係)の絶妙なパスには素直に動く。以前、彼が「塾を辞めたい」と爆発した危機を救ったのも、この名営業マンである姉の立ち回りでした。

そして当日。 妻と一緒に美容院へ向かいました。
ところが、そこで話が変わります。 息子の髪を見た美容師さんが、 「このくらいなら、縮毛矯正までしなくても、カットだけで十分まとまると思いますよ」 とアドバイスしたそうです。
妻からすれば、プロがそう言うのなら、その方がいい。 髪への負担も少ないし、時間もかからない。料金も抑えられる。 大人から見れば、かなり合理的な判断です。
そこで妻は、その場で縮毛矯正をやめ、カットだけにメニューを変更しました。 問題は、その変更に息子本人の納得が十分に入っていなかったことでした。
「髪型と学校は別の話だろ」を、いったん飲み込んだ
帰宅した息子を見ると、髪型自体はきれいにまとまっていました。 少なくとも私には、 「普通にいいじゃん」 と見えました。
ところが、本人はまったく納得していません。 鏡を見ながら、みるみる機嫌が悪くなり、 「話が違うじゃん! 縮毛矯正するって言ってたのに!」 そして勢いのまま、 「もう明日、学校行かないから!」 と言い出しました。
そこへ姉まで参戦します。 「ちょっと! 私がどれだけ説得したと思ってるの? なんで勝手に変えたの!」 一気にリビングが騒がしくなりました。
その様子を見ながら、私の頭の中には「親としての正論」が次々に浮かんできます。 美容師さんがカットで大丈夫と言ったんだから、それでいいじゃないか。 そもそも髪型の話と、学校に行くかどうかは別問題だろう。 そんなことで学校に行かないなんて、話が飛躍しすぎている。
危うく、そのまま全部口にするところでした。 でも、一度だけ止まりました。
仕事柄、人の話を聞くときに「相手は何に反応しているんだろう」と考える癖があります。 そこでようやく気づきました。
息子は、単純に「髪型が気に入らない」から怒っているだけではない。 自分なりに迷って、姉の話を聞いて、「やってみよう」と決めた。その自分の決定が、現地に行ったら大人の判断で別のものに変わっていた。 そこに腹を立てていたのだと思います。
これを仕事に置き換えると、かなり分かりやすい。
営業担当の姉が、お客さんである弟のニーズを聞き出し、「縮毛矯正」という内容で話をまとめた。 ところが納品の段階になって、現場側が、 「こちらの方が安いし、品質的にも問題ありません」 と、本人の十分な合意を取らないまま仕様を変えてしまった。
お客さんからすれば、 「いや、そういう話じゃなかったよね」 となるのは当然です。
妻も美容師さんも、もちろん悪気はありません。 むしろ「その方が息子のためになる」と思っての判断です。 でも、「良かれと思って」と「本人が納得している」は、同じではありません。 そこを混同していたな、と私自身も反省しました。
あれだけ欲しがったiPhoneを、あっさり使わなくなった
息子には、以前からこういうところがあります。 少し前にも、似たような出来事がありました。
その頃、息子は自分専用のiPhoneを欲しがっていました。 妻は、 「まだ早いんじゃない?」 と反対。 そこから親子でかなり揉めました。
それでも本人はなかなか引きません。 何度も交渉し、自分なりに理由を説明し、最終的には念願のiPhoneを手に入れました。
あれだけ大騒ぎして手に入れたのだから、当然大事に使うだろう。 私はそう思っていました。
ところが、しばらく経ったある日。 そのiPhoneが、充電も切れたまま、ダイニングテーブルの隅に置かれていました。 何日経っても、そのままです。
さすがに気になって、 「iPhone、使ってないの?」 と聞いてみました。
すると息子は、手元のタブレットを触りながら、あっさりこう答えました。 「うん。飽きた」 そして続けて、 「YouTube見るなら、画面が大きいiPadの方が使いやすいじゃん」 と言うのです。
私はちょっと拍子抜けしました。 「あんなに欲しがってたじゃん」 と。
欲しかったのは「モノ」ではなく、自分で選ぶことだったのかもしれない
大人の場合、 「せっかく高いお金を出したんだから」 「苦労して手に入れたんだから」 と考えて、そのまま使い続けることがあります。 いわゆるサンクコストです。
ところが息子には、その感覚があまりありません。 欲しいと思ったときは、本気で欲しい。 そのためなら親とも交渉する。 でも、実際に手に入れて使ってみて、 「こっちの方が自分には合っている」 と思えば、以前の選択にはそれほど執着しない。
親からすると、 「じゃあ、あの大喧嘩は何だったんだ」 と思うのですが(笑)、本人の中では意外と筋が通っているのかもしれません。
美容院の一件と、iPhoneの一件。 表面だけを見れば、 「わがままで、飽きっぽい中学生」 にも見えます。
でも、しばらく観察していると、少し違って見えてきました。 息子が大事にしているのは、「一度決めたものをずっと守ること」ではなく、 自分で考えて、自分で納得して選ぶこと なのではないか。
だからこそ、自分で選んだものには強くこだわる一方で、自分で試して「違う」と思えば、驚くほどあっさり手放す。 そんな特徴があるように感じています。
職場でも、「自分で選んだ仕事」は驚くほど進む
この「自分で決めたかどうか」の違いは、子育てだけの話でもありません。 私は普段、多くのスタッフが働く職場でマネジメントをしていますが、仕事でも同じような場面を何度も見てきました。
以前、部署の課題をいくつかメンバーに共有したことがありました。 すると一人のメンバーが、 「この課題、私に検討させてもらえませんか?」 と自分から手を挙げました。
そこからの動きは、本当に速かった。 分からないことがあれば、自分で関係部署へ確認する。 必要な人を巻き込み、どんどん話を進めていく。 私が細かく指示を出さなくても、こちらの想定以上に仕事が進んでいきました。
私はそこで、 「この人なら、別の仕事も任せられるかもしれない」 と思いました。 ちょうど、別のメンバーが担当していて、なかなか進んでいない仕事がありました。 そこで、 「チーム全体を進めたいから、これもお願いできないかな」 と頼んでみました。
すると反応は一変しました。 返ってきたのは、 「その仕事は、私だけではなく、みんなで分担してやるべきではないでしょうか」 という言葉でした。
なるほど、と思いました。 能力が急に落ちたわけではありません。 最初の仕事は「自分で選んだ仕事」。 次の仕事は「上から渡された仕事」。 その違いだけで、これほど人の反応が変わる。 管理する側からすると、なかなか考えさせられる出来事でした。
ロードバイクだけは、なぜ黙々と続けられるのか
そして今、息子を見ていて、この「自分で決める力」が最も分かりやすく表れているのがロードバイクです。
息子は競技としてロードバイクに取り組んでいます。 スクールでの練習だけでなく、自宅でも週に何度もローラーに乗ります。
ローラー練習は、見ている側からすると、かなり地味です。 景色が変わるわけでもない。 ただ自転車の上で、決められた時間、決められた回転数を意識しながらペダルを回し続ける。 楽しいことばかりではありません。
それでも、私が少し声をかけるだけで、自分でウェアに着替えて練習を始める日があります。 親としては、不思議なくらいです。
勉強では、 「宿題やった?」 と何度言っても動かないことがあるのに。 なぜロードバイクなら動けるのか。
たぶん答えは単純です。 強くなりたいと思ったのも本人。 そのために練習が必要だと納得したのも本人。 そこに親から「やらされている」という感覚が少ないからだと思います。
もちろん、私から練習内容を提案することはあります。 データを見たり、AIを使って一緒に考えたりもします。 でも最後に、 「これならやってみる」 と決めるのは本人です。 この順番は、できるだけ崩さないようにしたいと思っています。
▼ 景色も変わらない室内で、なぜ中学生がこれほど地味な反復練習に耐えられるのか。AIの客観的データを用いて「スピードではなく成長期の安全な土台作り(110rpm)」に本人が納得して取り組んだ、我が家のトレーニング戦略の裏側はこちらです。

「良かれと思って」が、一番危ないのかもしれない
今回の美容院の件で、私が一番考えさせられたのはここでした。
親はどうしても、子どもより経験があります。 だから、 「そっちは失敗する」 「こっちの方が効率がいい」 「言う通りにした方が間違いない」 ということが、ある程度分かってしまいます。 だからこそ、先回りして修正したくなる。
美容院で妻がメニューを変えたのも、まさにそれでした。 息子に嫌な思いをさせようと思ったわけではありません。 むしろ逆です。 本人のためを思って、より良いと思う方を選んだ。 それでも、結果として息子は強く反発しました。
そこで思ったのです。 子どもが自分で走り始めたとき、大人にできることは「正しい道に乗せること」だけではないのかもしれない。
少し遠回りに見えても、本人が選んだ道を一度歩かせてみる。 失敗したら、そのとき一緒に考える。 そして選び直すところまで本人に任せる。 その方が、結果的には自分で動ける人間になっていくのではないか。
もちろん、危険なことまで本人任せにするつもりはありません。 親として止めるべきところは止めます。 でも、「危険だから止める」のと、「大人から見て非効率だから変える」は別です。 私はときどき、その二つを混同します。
美容院から帰ってきた息子の、妙にスッキリした短い髪を見ながら、 「今回は完全に、こっちが仕様変更してしまったな」 と思いました。
おそらくこれからも、親として「こっちの方がいいのに」と思う場面は何度も出てくるはずです。 それでも、すぐに答えを差し替えない。 まず本人に聞く。 本人に選ばせる。
ロードバイクでも、進路でも、それ以外のことでも。 息子がどこまで競技を続けるのかは、まだ分かりません。 でも、少なくとも「自分で決めて、自分で動く力」だけは奪わないようにしたい。 今回の家庭内トラブルから、そんなことを改めて考えました。
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