「これ、どうやればいいの?」
職場でも家庭でも、よく聞く言葉です。 そんなとき、つい答えを教えたくなります。 自分が知っていることなら、その場で教えた方が圧倒的に早い。 失敗もしないし、こちらとしても話が早い。
私も以前は、そうしていました。 むしろ、 「分からないなら、最初から聞いてくれればいい」 くらいに思っていたところがあります。
でも今は、それをできるだけやらないようにしています。 きっかけは、仕事での手痛い失敗でした。
教えすぎた結果、「指示がないと動けないチーム」になった
以前の私は、仕事の結果を早く出すことをかなり重視していました。 部下が迷っていれば、 「そこはこうした方がいい」 「次はこれをやって」 「それが終わったら、ここに確認して」 と、かなり細かく指示を出していました。
その方が仕事は早く進みます。 ミスも減ります。 管理する側からすれば、安心でもあります。
ところが、しばらくすると別の問題が起きました。 メンバーから、 「次は何をすればいいですか?」 「これはどうしたらいいですか?」 と聞かれることが増えていったのです。
当時の私は、 「もう少し自分で考えてくれないかな」 と思っていました。 でも、今振り返ると少し恥ずかしい。 自分で考える機会を奪っていたのは、私自身だったからです。
部下が迷うたびに、私が答えを出す。 部下が考えている途中でも、私の方が早く答えが見えるから口を出す。 そんなことを続けておきながら、 「もっと主体的に動いてほしい」 と思っていた。 完全に矛盾しています。
そこから、私の中で一つ意識するようになったことがあります。 答えを教えることと、考えられるようにすることは違う。 これは仕事だけでなく、子どもとの関わりでも同じなのではないか。 そう考えるようになりました。
息子の「どうやるの?」に、すぐ答えない
今、中学生の息子に対して、私はなるべく「答えをそのまま渡さない」ことを意識しています。 もちろん、毎回うまくできるわけではありません。 急いでいるときは教えてしまいますし、 「もう貸して。お父さんがやるから」 と言いたくなることもあります。 実際、その方が早い。 それでも最近は、一度だけ止まるようにしています。
ある日、息子が動画編集アプリを使っていて、操作が分からなくなりました。 「これ、どうやるの?」 と聞いてきます。
画面を見ると、私が触ればそれほど時間のかからない内容でした。 以前なら、そのままスマホを受け取って操作していたと思います。 でも今回は、 「AIに聞いてみたら?」 と言いました。
息子は普段からAIを使うことはありますが、最初から上手に質問できたわけではありません。 分からなくなった画面のスクリーンショットを撮ってAIに見せても、 「で、何て聞けばいいの?」 となります。
考えてみれば当然です。 自分が何に困っているのか。 最終的にどうしたいのか。 どこまではできていて、どこから分からなくなったのか。 これを整理しなければ、AIにも質問できません。
そこで私は、答えそのものではなく、 「今、何をしたいんだっけ?」 「ここまではできてるんだよね?」 「じゃあ、そのままAIに伝えたら?」 と、一緒に質問を考えました。
するとAIから具体的な方法が返ってきます。 息子はその説明を見ながら、自分で操作し、動画を完成させました。
ほんの小さな出来事です。 でも、私にとっては結構大きな出来事でした。 私が代わりに操作していたら、おそらく数分早く終わっていたでしょう。 ただ、その数分と引き換えに息子が手に入れたのは、 「分からなければ、自分で調べれば何とかなる」 という感覚だったのだと思います。
数日後、今度は自分からAIに聞いていた
それからしばらくして、息子が釣りに行き、魚を持ち帰ってきたことがありました。 自分で釣った魚を食べたい。 でも、 「これ、そのまま食べて大丈夫なのかな?」 という疑問が出てきたようです。
以前なら、 「お父さん、これどうしたらいい?」 と聞いていたと思います。 ところが、その日は違いました。 気づいたら、自分でAIを開いて調べていました。
魚の種類や状態を伝え、食べ方や保存方法について質問している。 分からないところがあれば、さらに聞き直す。 そして調べた内容をもとに、家族とも確認しながら自分で下処理をしていました。 (※魚の生食には寄生虫や食中毒などのリスクがあるため、実際には魚種や保存状態を確認し、必要に応じて公的機関などの情報を確認することが前提です)
食卓に並んだ魚を家族が、 「おいしい」 と言って食べると、息子はかなり満足そうな顔をしていました。 その顔を見ながら、 「こうやって覚えていくんだな」 と思いました。
誰かに正解を教えてもらったわけではありません。 疑問を持つ。自分で調べる。分からなければ聞き直す。やってみる。結果を確認する。 それだけです。 でも、この流れを自分で回せることは、これからかなり大事になる気がしています。
AIを使うことより、「何を聞くか」の方が難しい
AIについて、 「子どもが使うと、自分で考えなくなるのでは」 という意見もあります。 確かに、何でもそのままAIに聞いて、出てきた答えを丸写しするだけなら、そうなるかもしれません。
でも、息子とのやり取りを見ていて、私は少し違う感覚を持っています。 AIから良い答えを得ようと思うと、結局、「自分は何が分からないのか」を自分で考えなければならないからです。
動画編集でも同じでした。 「できません。教えてください」 だけでは、欲しい答えにはなかなかたどり着きません。 どこで困っているのか。 何をしたいのか。 何を試したのか。 それを整理して初めて、質問になります。
だから私は、AIの操作方法そのものより、 「どう聞けば、自分の知りたいことが伝わると思う?」 と考えさせる方が大切なのではないかと思っています。
その癖が、ロードバイクにも出始めた
この変化は、息子が本気で取り組んでいるロードバイクにも少しずつ出ています。 以前なら、 「今日は何の練習するの?」 「この練習って意味あるの?」 と私に聞くことが多くありました。
今でも相談はします。 ただ、最近は自分でも調べるようになりました。 たとえば、 「低強度のトレーニングを続けると何が変わるのか」 「自分のようなタイプには、どんなホイールが合うのか」 といった疑問をAIに聞いています。
もちろん、AIの回答がすべて正しいわけではありません。 スポーツ科学や成長期の身体については、専門家やコーチの判断を優先した方がいいこともあります。 だから私も、 「AIがそう言っているから正しい」 とは教えていません。
むしろ、 「本当にそうなの?」 「別の考え方はないの?」 「コーチが言っていることとは、どこが違う?」 と一緒に考えます。
この過程が面白い。 たとえば、自分で調べて、 「この練習にはこういう意味があるらしい」 と納得してからローラーに乗ると、同じ練習でも本人の受け止め方が違います。
親から、 「これが必要だからやりなさい」 と言われてやるのと、 「これをやったら自分はどう変わるんだろう」 と思ってやるのでは、同じ1時間でも中身はかなり違うように見えます。
▼ 「速く走るな、ただ回せ」。親の感覚や根性論ではなく、AIの客観的データを用いて「成長期の安全な土台作り(110rpm)」の意味を本人が納得したからこそ、地味な反復練習が継続できています。我が家のAI活用トレーニングの裏側はこちら。

親も上司も、「答える人」から少し離れていい
仕事でも子育てでも、経験がある側には答えが見えてしまいます。 だから口を出したくなる。 私自身、今でもそうです。
部下が遠回りしていると、 「それ、こっちからやった方が早いよ」 と言いたくなります。 息子が何かに手間取っていると、 「貸して。やってあげる」 と言いたくなります。
でも、本当に毎回それでいいのか。 最近は考えるようになりました。
目の前の一回を早く終わらせることが目的なら、教えた方がいい。 でも、 「次から自分でできる人になってほしい」 のであれば、少し待った方がいいときもある。
そしてAIが身近になった今、大人の役割も少し変わってきているのかもしれません。 すべての答えを知っている必要はありません。 むしろ、 「それ、どうやって調べたら分かると思う?」 「AIに聞くなら、何て聞く?」 「その答え、本当に合っているかな?」 と問い返す。 必要なら一緒に調べる。 最後の判断だけは、本人に戻す。 そんな関わり方の方が、これからは大切になっていく気がします。
▼ 大人が「良かれと思って」先回りし、本人の合意なく答えを差し替えて(仕様変更して)しまった結果、息子の猛反発を招いた先日の家庭内トラブルの記録はこちら。「自分で決める力」を奪う恐ろしさを痛感した出来事です。

「教えない」は、放っておくことではない
ここは、自分でも勘違いしないようにしています。 「教えない」といっても、 「自分で調べろ」 と突き放すことではありません。
最初は一緒にやる。 質問の仕方が分からなければ、一緒に考える。 情報が正しいか判断できなければ、一緒に確認する。 でも、できるようになった部分から少しずつ手を離していく。
自転車の補助輪を外すのと、少し似ています。 ずっと支えていたら、一人では走れません。 かといって、いきなり手を離せば転びます。 その間の、 「まだ少し支えているけれど、自分で走っている感覚」を作る。 親にも上司にも必要なのは、案外そういうことなのかもしれません。
私は過去の仕事で、それができませんでした。 早く成果を出したいあまり、自分がずっとハンドルを握ってしまった。 そして後になって、 「なぜ自分で動いてくれないんだ」 と思っていた。 今考えれば、かなり身勝手です。
だから息子には、同じ失敗をできるだけ繰り返したくありません。 「どうやればいいの?」 と聞かれたとき。 すぐに答えを言う前に、一度だけ考える。
これは今、教える場面なのか。 それとも、自分で答えを見つける経験をさせる場面なのか。 毎回答えが出るわけではありません。 私自身も、つい口を出します。 それでも、その問いを持っているだけで、以前とは少し関わり方が変わりました。
子どもにも部下にも、 「正解を知っている人の指示を待つ人」 ではなく、 「分からないことがあれば、自分で調べ、考え、誰かに聞き、前へ進める人」 になってほしい。
AIが当たり前になる時代だからこそ、必要なのは答えをたくさん覚えることよりも、 自分で問いを立てて、答えを探しに行ける力なのかもしれません。
▼ 手取り足取り教えてハンドルを握り続ける「料理人」を卒業し、子どもが自分で考え、自走できる環境だけを整える「仕入れ担当」へ。私が仕事の組織マネジメントの失敗から学び、子育ての絶対的な軸としている基本マインドはこちらで無料公開しています。

▼ 追記:「もう貸して!お父さんがやるから」を飲み込むための仕組み作り
頭では「自分で考えさせた方がいい」と分かっていても、目の前で子どもがもたついていたり、遠回りしていたりすると、親はどうしてもイライラして「こうやりなさい!」と答えを押し付けたくなります。
この「早く正解を出させたい」という親の焦りやコントロール欲求を、どうやって子どもの課題から切り離す(デカップリングする)のか。私がサイトマネージャーとして、そして対人支援のプロとして泥臭い失敗を繰り返しながら構築してきた「自走を引き出す待つマネジメントの仕組み」をひとつのコンテンツにまとめました。
つい口出ししてしまい、「指示待ちの子ども(部下)」にしてしまっているかもしれない……と悩む方にとって、一歩引いて「補助輪を外す」ためのインフラになれば幸いです。


コメント